荒川遠く、海もないのに荒川沖とは?

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先日、荒川沖東の夏祭りに行ってきました。屋台が並び、綺麗な子供山車が駅前通りを往復します。地元の子供が集まり、大人も威勢の良く「東の男はいい男、東の女はいい女、惚れちゃえ惚れちゃえ惚れちゃいな」という掛け声で盛り上がります。2013年ですが動画があります。

荒川沖は土浦市

荒川沖駅の周辺は阿見町ではなく土浦市です。1948年から1955年にかけて朝日村が土浦市と阿見町に分離された時に、そうなったようです。それでも、東口は阿見側への人の流れが多く、駅のwikiでも
「所在は土浦市であるが、稲敷郡阿見町との境界線も近く、同町の事実上の玄関口の一つでもあり、同町方面への路線バスも発着する」と書かれています。

荒川遠く、海もないのに荒川沖とは?

少し検索すると出てきますが、もちろん埼玉や東京を流れる荒川のことではありません。しばしば氾濫する荒れ川(今の乙戸川)が流れる地域の先の方(沖)という意味のようです。乙戸川は乙戸沼を水源として小貝川に合流し、霞ヶ浦に流れる静かな川ですが、かつて乙戸沼は水量が多く、付近は湿地帯だったようです。今の阿見町本郷区に集落があり、江戸初期に水戸街道が水害の多い地域を避けて整備されたことから、一部の人が街道沿いに移り住み、荒川沖として宿場に発展したようです。
には、

  • 岸から遠く離れた海上・湖上。
  • 田畑・原野の開けた遠い所。

という意味があるのですね。

荒川沖駅ができて120周年

昨年、荒川沖駅で開業120週年というイベントをしており、最初はそんなに古いのかと目を疑いました。地元生まれの嫁さんも半信半疑でした。調べてみると確かに、「1896年(明治29年)12月25日 – 日本鉄道の駅として開業、旅客・貨物営業を開始」とのことで、これも水戸街道の宿場町として発展してきた歴史があってのことなのですね。かつて東口の駅前は荒川沖競馬場だったそうです。地元の歴史を調べてみると、これまでの変遷がわかり、同時にこれからの変化にも希望が持てる気がしてきます。

参考リンク

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